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近所(というか自宅マンション2F・笑)のファミレスで打ち合わせの後、これまた近所のカレー屋で夕食、店内のテレビには渦中の会社のあの社長が…
気さくなお店のおばちゃんが「この人、若いのにすごいよね〜」と話かけてくる。

なるほど、不相応な時価総額をみても、こういう期待感を持った投資家が、同社の株を買っているのだろう。しかし、その成長過程を知る者ならば、彼らが株主を自分のサイフ程度にしか考えていないと感じるかもしれない。実際、増資で資金を得ただけなのに『x00億円もうかっちゃいました』などと発言してしまうような神経の持ち主だ、今回も確実に株価を下げるメチャクチャな条件でCBを発行している。
『株は自己責任』は正論だが、経営者が口にする言葉ではない。経営者には株主の利益を守る責任がある、株主に貢献する気持ちのない経営は他人の金で博打をしているにすぎない。

仮に(奇跡的に)事が進んで影響力を持てたとしても、その後はどうなるのだろう?
敵対的M&Aといっても相手との信頼関係がなければうまくいくハズがない、最近の氏の発言は余計な波風を立て、無意味に関係を悪化させているように思う。そもそも、最強コンテンツが「ほりえもん」のこの会社主導で面白い番組が作れるのだろうか?
エンターテイメントは基本的に無駄なものだ、でも、それは必要な無駄なのだ、こういう分野に、極限まで利益を追求する(経営のエッセンスだけで行動する)タイプの経営は一番向いていないように思う。

一方でこのような発言もしている、なるほど、市場原理に基づく偏向のない、純粋に読み手と書き手をマッチングさせる為のメディア、というのは非常に面白い。
でも、これってインターネットそのものではないのか?
主導するのは『個の集合』であって『企業』では無いだろう、ここに『企業』という古くさい価値観をはめ込んでどうする?それとも、想像もできなかった新しい何かを見せてくれるのだろうか?

結局、彼らは何がしたいのだろう?
現時点では、買収先の資産を元手に更なるM&Aをしかける程度の事しか想像できない。

株式とは、アイディアと情熱と志を持った人々が資金を調達する手段である、
そのルールの上で、何の創造も貢献も無しに行われるマネーゲームは、社会的に見れば単なる摩耗コストでしかない。虚業者がもうけようが破滅しようが、どうでも良い話だが、地道にコツコツ頑張っている人間の足をひっぱったり、搾取の対象とする事はあってはならない。

貢献のない報酬に、どの程度の価値があるというのか?
報酬は貢献の対価であるべきだと思う。

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